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貴子という名前での生活がありました
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三宮の店を辞めた後、 Y氏からは何度か連絡があった。

Y氏の謝罪したい、 という趣旨の訴えと 私の気のない返事。
ある日 ポートピアホテルでイベントのバイトの帰りに
迎えに来てもらうことにした。
足になってもらえるなら 話でも聞こうか、 と。

会うと 別に怒ってもいない自分を発見した。
以後 何度ともなく食事をしたり 飲みに行ったり。
話すと 適度に楽しい。 歌を聴くと 毎回くらっとくる。
しかし あの夜のことがあるので Y氏は 明らかに冗談以上のことは言ってこない。

ある日 ショーウィンドウに飾ってある白い麻のジャケットを見て
「今着てるのより あっちのがそのスカートに合うで」 と Y氏が言った。
確かに素敵だが 値段も素敵。
自分ではもちろん買えないし 買ってもらうのもイヤだ。
固辞したが 「どんでん返しは もうないから」 と 押し切られた。
これを皮切りに Y氏は装飾品を中心に いろんなものを買ってくれた。
Y氏は競走馬を持っており 勝つ度におすそ分けだと 現金もくれた。
私から アレが欲しい コレが欲しい、 とは言わなかったが
すっかりズルさを身につけたと思う。

とはいえ 実際のところ 私はY氏を好きになっていた、 一人の男性として。
Y氏の家族だとか 私の親とか そんな深いところは考えるまでもない
「好き」ではあったが。
酔った勢いでちゅー、 そして けらけらと笑いながら するっと逃げて。
逃げずに 懐に入り込んだら どんな香りがするのだろう。

そして ある日 六甲北一番地に誘われた。
当時は そこらのシティホテルより人気のあった
高級連れ込み宿である。
連れ込み宿のくせに 100平米超の広さの部屋があったり、
専属シェフがいたり 予約出来たり・・・
何よりも 下品な風情が微塵もないのだ。
「最初の夜は六甲北一番地にするから」 という口説きギャグが存在したくらいだ。

部屋の詳細は 緊張して覚えていない。
ワインとシェフ料理が運ばれ・・・ワインを二人で飲む、 飲む、 飲む。
しこたま酔って いたそうとしたのだが 飲みすぎた為に うにゃうにゃごごごごぴー・・・・

しばらくY氏とは会わなかった。
多分 お互い気が済んだのだと思う。
次に 久しぶりに会った時、 二人とも妙にすがすがしい顔で 未遂事件を笑いあった。


今はどうしているのだろう、 と 会社を検索してみると
増資して業務規模を拡大し 着実に業績を上げているようだ。
HPの顔写真は カメラ目線でないY氏らしいショットだった。
私の頭の中では あの「卒業写真」 が流れていた。
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