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貴子という名前での生活がありました
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その夜は元々のバイト先である芦屋の店に出勤することになっていた。
そう告げると「終わったら電話ちょうだい」。
「じゃぁ別の日に」という返事ではないのはわかっていた。
りつ子ママは 最大限相手の都合にあわせているフリをして
自分の意思を通す術を知っている。
オープニングのヘルプは 最初は3日間だけだったのが
その時点では既に2週間に延びていた。

芦屋の店の終了は深夜1時。
店を閉め ヒロと面倒なやりとりをして芦屋を離れたのが2時前。
半分くらい中止勧告を期待してりつ子ママに連絡をしたけれど
予測通り決行宣言を受け 三宮で合流。

連れて行かれたのは北野にあるホストクラブ。
紹介したい人というのは そこにいるホストたち。
「この子 私の妹。学生やけどオープンだけ手伝ってもらうのよ」

りつ子ママの本物の妹さんも同席していた。
私が「りつ子ママの妹」として紹介されている間も 表情を変えることなく
自分のペースでタバコとグラスを持ちかえる。
妹さんが席を離れた時に「ママには妹さんがいるのに?」と曖昧な問いを投げると
「あの子は不憫な子やねん」とだけ言った。
不憫、という言葉を 実生活で初めて聞いた。
りつ子ママは つまらなそうな顔で席に戻ってきた妹さんに
「あんたはユタカでないとあかんなあ」と声をかけ 楽しそうに笑った。

生まれて初めてのホストクラブ。
ねっとりとした雰囲気なのかと思っていたら そうでもなく
なんでもない話がおもしろおかしく展開されていく。
へぇー、こんなところなんだ、というちょっとした好奇心の満足と
こんな時間にこんなところまでのこのこ来てしまっている自分。

オープンには必ず来てね、というりつ子ママの営業活動。
彼らは義理でも必ず来る。
オープニングは派手な方がいい。
それはわかった。
だけど、私は一体何をしているのだろう。
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