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貴子という名前での生活がありました
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夏休みが近い日、大学生協の本屋で治子とすれ違った。
治子ー、と声をかけると 彼女の表情がこわばった。
何かあったな、という直感と
治子の「時間、いい?」というNOとは言えない問いかけと。

私たちはそのまま 学生会館内の喫茶店OffTimeに入った。
席と席の間隔は狭く、誰もがそれぞれに話しているので
声をひそめると会話にならない。
治子は小さな声で話し始めたが
だんだん声のトーンが普通レベルになっていった。


治子と里香の二人が りつ子ママに連れて行かれたセレクトショップが
りつ子ママと治子、里香の3人を詐欺で告訴したのだ。
この社長は ラウンジSに何度も来て下さっていたお客さん。

服の代金は気にしなくていい、とりつ子ママは言っていた。
実際のところ 里香と治子の服代金
それぞれ 約7万円・約16万円は全く支払われておらず
ショップの社長は何度も請求したものの
のらりくらりとかわされていたまま りつ子ママが逮捕されてしまった。
治子と里香も 支払うつもりがないのに商品を持っていった、
この3人はグルだ、と 告訴になったという。
治子と里香は、告訴状が届くまで代金が支払われてない云々は
全く知らなかったとのこと。

この話を治子から聞いたその時には もう何もかも終わっていた。
里香と治子、それぞれの親御さんが代金を支払うことで
告訴は取り下げられたとのこと。

絶句するしかなかった。

この話を私にするつもりもなかったという。
言うと 紹介者として責任を感じてしまうだろうから。

「今まで生きてきた世界とは違う場所なんだよ、夜の世界は。
 興味本位で入っちゃいけなかったんだよ。」
そう言うとしばらく治子は唇をかみしめて黙り込んだ。
「貴子にこれまで何も起こっていないのは 奇跡が重なってるだけだと思う」

学校の中なのに 学校という世界から遠い話。
「そうかもしれない」と口にして それから何も言葉が出てこなくなった。

「図書館に行くね」気詰まりな席を先に立ったのは治子だった。

人に何かを紹介すると、それが思わぬ方向転換になることがある。
この時以来 人に何かを紹介する時はかなり慎重になった。
男友達の挨拶代わりの「女の子紹介して」ですら。


夏休みが明け 治子とは学校で何度か顔をあわせるものの
ゆっくり話すことはなかった。
クリスマスが近い時期 駅で偶然会い、目的地が同じ方向だったので
道中雑談が始まった。

当たり障りのない話のあと 夏休み前の事件について話が及んだ。
「あの時はごめんねー、心配かけて。でももう大丈夫だよ♫」
歌うように治子は言う。

あれから何かバイトしてるの?と問うと
治子は ふふふ、と含み笑いを漏らした後
「今は梅田のキャバクラ♫」と やっぱり歌うように彼女は言った。
語尾には本当に音符がついていた。

吉本新喜劇なら 舞台の上にいる全員がこけるところだ。

ーーーーー
治子も里香も、就職して地元に帰っていった。
大学を卒業してからは一度も連絡をとっていない。

その後のりつ子ママについては何も知らない。

O部長とは しばらくは食事をする機会があった。
りつ子ママが逮捕された時 既に前科があったことを聞いた。
だけど、その話は触れてはいけない雰囲気で それ以上は知る由もなかった。
O部長は 私が貴子でなくなり社会人となった以降、
何度か仕事でお世話になった。
彼の転勤で疎遠になり それっきり会っていない。
何年も前のことだが 某リゾート施設の特集番組で、
責任者として話すO部長を偶然見た。相変わらず隙のない紳士だった。
彼については あまり多くを書かなかったけれど とてもとても魅力的な方だった。

三宮ラウンジSの話はこれで終了。

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